『家郷の訓』――2013年11月27日の日記

『家郷の訓』宮本常一・著(岩波文庫
宮本先生のお家は石垣を隔てた海の真ん前にあった。
潮が引けば海は干潟になり、貝を採る。
きれいな貝殻はおはじきにする。
嵐の夜は土間まで浸水する。
宮本先生は長男だったから、お母さんは特別大切に育てた。他の人は麦ご飯でも、彼だけには白いご飯をよそった。
男は出稼ぎの多い土地で、彼らは正月や盆に帰ってくる。そして法事や親戚の挨拶、村の会合などをこなす。
子を他郷に出した母は「潮ばらい」をする。
「自らの額に潮水を三度指先でつけ、四方を潮で祓うのである。そして手に砂・礫などを持って神前に至り、この砂礫を投げてていちょうに拝む」
これを何回も繰り返す。それから朝飯を炊く。
「陰膳」とは家族が不在でも、ひもじい思いをしないようにその人にもご飯をつけておくこと。
『コクリコ坂』で出張中のお母さんにメルが朝ごはんをよそっていたのが印象的だったが、あれは陰膳と言うのだ。
私の家ではその習慣は無かったが、もらったものは必ず仏壇にお供えしたし、ご飯もお供えするまで食べてはいけなかった。
「千本幟」は竹を割ってそれに紙を貼り付けたもので、神社の本殿の周りに立てた。「潮をかく」とゆう潮ばらいに似たものを千度するのも子供の頃やらされたそうだ。
瀬戸内海の島々では流れ着いた海藻を乾かして肥料にする。
「渚では白い波が浜に寄せて沫をあげており、風が女たちの着物の裾を吹きまくるようにしている中で、渚に長くまるめてうちあげられているしっとりと濡れたモバを抱きかかえては、波の寄ってこないところへひろげます。手も足も着物も濡れてボトボトになるのですが、人々は黙々として朝のひとときを働き続けるのです。」
故郷でフィールドワークを始めた頃気狂いと言われたという宮本先生、この作品はその賜物であるのだろう。
ラムネ屋や桶屋、ランプ屋や彫刻師、駄菓子屋などがあった時代。
島嶼民でありながら、漁民ではなかった彼らの生活は、盆地に暮らした人々とどこまで同じでどこから違ったのだろうか。