2013年11月11日の日記

昨日のねる前、朝起きることがおそろしくて、なにもかもいやになった。
とにかく私の生活が、いやなことばかりで満ちているような気がして、わんわん泣いた。
こんなのは高校以来だとぼんやり思った。

寝汗をぐっしょりかき、起きて、朝ごはんを食べる。曇り空。寒い。
おふろにゆっくり浸かる。
いつのまにか雨が。
昼ごはんは白あえと味噌汁とごはん。食べた後、食器洗い機に入れる。丁度いいぐあいに埋まる。

図書館で借りた鶴見和子の『南方熊楠』はぜんぶ読み終わらないうちに返却期限が来てしまった。
熊楠のことは菌類学者ということしか知らなかったけれど、すごく好きになった。
和歌山に生まれ、漱石と同じ年に東大の予備門に入り、アメリカから曲馬団に混じってカリブ海へ、そして大英博物館へ。

彼はこう言う。
「小生は元来はなはだしき疳積持ちにて、狂人となることを人々患えたり。自分このことに気がつき、他人が病質を治せんとて種々遊戯に身を入るるもつまらず、宜しく遊戯同様の面白き学問より始むべしと思い、博物標本をみずから集むることにかかれり。これはなかなか面白く、また疳積など少しも起こさば、解剖等微細の研究は一つも成らず、この方法にて疳積をおさうるになれて今日まで狂人にならざりし。」

熊楠は、ぎりぎりのところで生きていたのだろうなあ。
まっすぐだなあ。
奥さんや娘さんや天皇を迎えたときのエピソードも、まっすぐだなあ、と思う。
一緒に借りた河合隼雄の『昔話と日本人の心』とつながるところがあった。
女陰が目を奪うものであること。
熊楠はそれを墨汁の点々や金箔やアイメイクやつけぼくろと同じく邪視を防ぐものであると言う。
柳田國男が「神隠しに遭いやすい子」だったと述べている、というのも面白い、と思った。
二人は気があわないところがあったようだけれど、そういう不安定なところは同じなんだろうなあ。
こちらは書きこみたかったので、こんどは自分で買ってじっくり読む。
そういえば、『南方熊楠』は河合隼雄さんがずっと前、どっかで勧めてくれてたのだった。