屋久島滞在


最終日は、トッピーの中で、Schafkopfというドイツのカードゲームを教えてもらった。鹿児島の街を見て、さくらに乗って、お家に帰った。
わたしがこの旅で得たものは、わたしが何も学んでこなかったという事実で、英語を喋るにも、過去形や過去分詞があやふやだったり、身近な名詞も出てこなかったりしたこと。
川で遊ぶにも、海で遊ぶにも、遊びかたがわからなかったこと。
そして反面教師になる大人にも、刺激される大人にも出会った。
子供たちが全然楽しそうじゃない親や説教しようとする大人、気の使えない大人、大学の名前だけ知りたがる大人、彼らは揃って英語が喋れなかった。

そして色々な価値観をきいた。

限られた持ち物、お金、環境の中で、何が必要で何が必要でないのかを知った。
凍らせたペットボトルとおにぎりかパン、傘、タオル、携帯電話、ノートブック、ボールペン、カメラ、日焼け止め、財布。
モンベルのTシャツとバドミントンのハーフパンツにリュックサックを背負って歩いた。
マリンブルーのいなか浜がわたしの一番好きな場所だ。
そしてわたしは入り口から庭の窓が開け放された漁民の家を覗いた。
揃って高床になっていて、わたしは水俣の人たちもこんな家に住んでいたんだろうと思った。
きっとわたしはまた別のところに行きたくなるに違いないし、まっすぐ社会に出れるかも確かでなくて、それでもいま、大学の授業を受けてるだけでは不十分で、別の色々なことをしなくてはいけないと感じた。
それが人の真似じゃだめだということも。
彼らは、自分の意見を言って、議論しようとした。
なんでかわかんないことがあれば、なんだって訊いた。
今は、大学で受けてる授業が、わたしはすごく狭い狭いものなのだと思う。

釣ってもらったお刺身は甘くてとろける味だった。甘口しょう油の焼きおむすびも、とうもろこしも、永田の商店で買っていなか浜で食べたパンも、ぜんぶぜんぶ美味しかった。
スーパーにも出している丘の上のひらみ屋さんのパンは、少し高いけど、くせになる味で、色々試した。私は「おやきピロシキ」が好き。
萌ちゃんとトースターで作ったお好み焼きも、楽しくて。
旅に出る時は、美味しいお塩を持ち歩くといいのかもしれない。

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時々、自分ではわかんないくらい世界から脱落しちゃって、自分では大丈夫だと思ってても、はたからみたらぜんぜん大丈夫じゃなかったりした。
日本語でも英語でも、人が多いと、私は上手く話せなくてもどかしかった。
私がここにいる意味や出会いや別れの意味、何処かへ行く意味が私を苛んでいったから、「あなたは悲しそうに見える」と言われたのを、否定はできない。
そこは自己肯定の場では無いし、そうである必要も無い。


私は、何者かから死に物狂いで逃げ出したく思っている。
それは、いわばサル(=ケルアック)をして、中流育ちのふつうの大学生でいることを耐え切れなくさせたようなもの。
今はみんなが同じ方向をみているわけではなくて、内向きで顔を寄せ合って狭いところに座っているような気がして、すごく息苦しかった。
みんな同じことを期待して、同じことを訊いてきたから、あまのじゃくな私は黙らせてやりたかった。